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2010/10/15

澤田瞳子『孤鷹(こよう)の天』

ときは天平宝宇年間。孝謙天皇、道鏡、恵美押勝らが生きた時代である。主人公は大学寮に学ぶ青年達。日経新聞の書評欄で大絶賛されているのを目にし、翌日、大型書店に飛び込んで早速購入した。

劇画風の絵が描かれたつるっとした風合のジャケットはわたしには随分と意外だった。本のサイズもふつうの単行本よりもひとまわり小さく戸惑ったのだが、これはのどの開きもよく、手に持ってラクであった。

読み始めてみると文章が整っているからだろう、難しい言葉が並ぶのにも関わらずとても読みやすい。しかも、こうした小説は得てして中だるみがあったり、尻すぼみだったりするものだが、この作品には最後まで一気に読み進めさせてくれるテンポと勢いと熱さがある。

藤原清河の家に仕える高向斐麻呂は14歳で大学寮に入寮した。きっかけは主の娘である広子への淡い恋心。広子のために、唐に渡った清河を迎えに行きたいという個人的な思いからだった。広子から渡されて斐麻呂が大事に懐に入れていた白い陶硯は、そんな無垢な少年の心の現われだったのだろうか。

大学寮で説かれるのは儒学の基本理念である五常五倫。その中でも最も重視されている「義」とはいったい何なのか。 

斐麻呂の先輩で期待の人である桑原雄依は義をまっすぐに貫こうとした。あまりにもまっすぐに。だから国を託せると信じた高丘比良麻呂が儒学派から崇仏派に寝返ったように見えたとき、それを許すことができず比良麻呂襲撃をひとり決行した。

比良麻呂はそんな雄依が斬り殺されるのを見て、取り縋って号泣した。彼には彼の義があった。

斐麻呂や雄依らと近い立場で儒学を説いた巨勢嶋村もまた、異なる立場から義を信じ、そして何よりも生徒を信ずる人だった。

雄依の無二の親友で弓の名手であった佐伯上信にとっては、押勝の挙兵を契機として結局は世の中を変える力を持たない五常五倫が虚ろなものに見えてしまった。しかし義に殉じた雄依の心を胸に、大炊帝とともに最後の戦に臨む。

そして上信が大炊帝の挙兵に付き従って戦陣の中死んでゆくのを目の当たりにした山部王(のちの桓武帝)は、そこに真実の官吏の姿を見、自らの進むべき道を心に刻んだ。

良戸の身分でありながら誤って奴婢の身に落とされた赤土は、斐麻呂と机を並べて学びながらその限界を思い知らされた。そして悔しさと嫉妬と憧れのないまぜになった気持ちを抱えながら生きた。

そんな彼らに、ときに『海国記』の通憲を、『最勝王』の魚名を、ときに『蒼穹の昴』の梁文秀を思い起こした。熱き男たちの物語。

実は、女たらしで遊び人の顔の裏に冷静な状況判断力と誠実さを隠し持つ磯部王がとりわけ魅力的で、目の離せないキーパーソンである。著者はこの磯部王に「ともに学ぶべきも、いまだともに道をゆくべからず」の論語の一節を語らせている。それぞれの義。それぞれの義を持って進む者たち。天高く翔り行こうとする者たちの行く手に待ち受けるのは厳しく自問しつつ歩む狭き道である。

ほかにも魅力的な人物が多数登場し、ドラマなら誰が演じるだろうかと想像しながら読むのも楽しい。(NHK『大仏開眼』で吉備真備を演じた吉岡秀隆くんと阿部皇女を演じた石原さとみさんが、なぜだか斐麻呂と広子の姿と重なった。)

春に始まった物語はいくたびかの季節を経て冬に終わりを迎える。だがその冬の情景の中で学ぶ生徒たちの姿はやがてまた春が巡ってくることを感じさせてくれる。それと同時に閃く稲光はやがて彼らを襲うであろう苦難をも予感させる。こうした季節感や天候、それに伴う色彩の表現が親切すぎるのではないかと思われるほどに細やかなこともまた、登場人物に生気を与えているように感じられた。

斐麻呂がまだ大学寮に入ったばかりで目を輝かせている頃の「机の上で、白い陶硯が日向の色に輝いた」などという表現はいったい誰が思いつくだろうか。

次の作品が待ち遠しい。

澤田瞳子著『孤鷹の天』(徳間書店, 2010)
Koyonoten

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コメント

ぜひぜひ。オススメです。ちょっとだけですが石上宅嗣のことも出てきます。

投稿: namiko→Muさま | 2010/10/15 09:25

 波兎さん、以下の引用に『孤鷹の天』の雰囲気を想像しました。
<そんな彼らに、ときに『海国記』の通憲を、『最勝王』の魚名を、ときに『蒼穹の昴』の梁文秀を思い起こした。熱き男たちの物語。>

 珍しくというか、Muも海国記、最勝王、蒼穹の昴をそれぞれ熱心に(笑)読んでおりましたぁ。

 このたび「義」なのですね。うむふむ。私も読んでみます。

投稿: Mu・京都 | 2010/10/15 04:01

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